にこにこ会







・活動レポート

 ■思い出話し・1
  リョウが1歳10カ月の夏に主人の転勤で鎌倉に引っ越して来ました。暑かったからか(?)公園に行っても誰もいないし、朝5時半起きのリョウの相手をするのは大変でした。
  そんな時知り合ったシホ母さんから◯◯公園での集まりに誘っていただき、ホイホイとついて行きました。一回目の集まりだったか二回目だったか・・・、私は歯医者の予約を入れ、リョウは知らない人ばかりの中に預けられず〜っと泣いていたそうです。でも、当時は朝から夜までほとんど母子二人の生活でしたので、 『子供は青空の下で遊べ、母は当番制』という話に飛びついた私でした。青空自主保育とは何なのかもよく分からずに。
 発足当時は保育者の方もいなくて母達だけで紆余曲折しながら、なかよし会に見学に行かせていただいたり、山道の下見に行ったり。今のように携帯も普及していないので連絡や相談も電話を使い、大変だったのを覚えています。
  でもにこにこ会の無い生活は考えられず、二人目の娘・ナナを妊娠した時も実家に帰ることは考えず、母に鎌倉に来てもらいリョウをにこにこ会に参加させてもらいました。そういえばあの頃は二人目妊娠出産ラッシュで、引率のやりくりも大変だったと思います。しかし、ナナがにこにこ会のメンバーになる頃には中村 さん・黒川さんという頼れる保育者もいる立派な会になっていました。ナナの卒会と同時に沖縄に転勤になりました。本当ににこにこ会に始まりにこにこ会に終わった私の鎌倉生活でした。二人の子供たちのにこにこ会の記憶はおぼろげですが、あの頃の体験はきっと彼らの中に生き続けていると思っています。私の子でありながらなぜか足の速い二人。ふっと「これはにこにこ会でお山を走り回ったおかげ」だと思う私です。
 これからもたくさんの親子がにこにこ会で楽しい時間を過ごしてくれたらいいな・・・と思います。(リョウ・ナナ母)

■思い出話し・2
  なんといっても、当初集まったメンバーは子供が皆小さかったです。0歳児から2歳児、一番多かったのが1歳6カ月前後…。当然、2歳になればなかよし会に入会したいと、既に申し込みをしていた人もいましたし、「入会できませんか」と、市主催のセミナーの後、相川さんに直談判した人も多数いました(実は私もその一人)。ところが、相川さんが「定員いっぱいなの。自分たちで作れば・・・」と。そうなると、なんかやろうよという気持ちがたかぶって、とりあえず、 中央公園に集合しようと。メンバーを募ったら、何回か集まるうちにメンバーが定着してきて、会の名前を決めようとなりました。
 いまでもはっきり覚えているのは、名前が「にこにこ会」に決まった後、会の方向性をきめるときに、全員一致で自主保育をするとなったのですが、高崎さんがみんなの気持ちをまとめてくれて、「この会が自分たちの子供たちがいなくなっても、未来永劫続く、自主保育の集まりになれるように、皆覚悟を決めよう」と宣言してくれたことです。正直、にこにこ会が、鎌倉自主保育の「なかよし会」「やんちゃお」につづく会に育って、こんな思い出話を書かせていただけるのは嬉しいかぎりです。こののち、会をしっかりするため役員を決めていったように思います。
 とはいうものの、最初困ったのはグループ分け。赤ちゃん組は日光浴、歩ける子は山歩きと、試行錯誤。なかよし会を見学させてもらって、相川さんに「にこにこ会も親が離れないとだめね!」といわれて、皆奮起したのはいつのことだったでしょうか。(今思えば、にこにこ会の子の方が月齢の小さい子たちが多かったのだから、なかよし会見学の後、母親を当番制にしたのは画期的なことだったように思います。)
 さて、自主保育が当番制となりしばらくすると、色々と困った問題もおきました。これを機会に保育者を探そうという機運が一気に高まり、人脈のあった高崎さんの紹介で、中村さんに来ていただいた時には本当に安堵したものでした。どの子にとっても自分の母親でない人がひとり、保育者として入って下さることのありがたさを感じた瞬間です。
 ところで、いまは、にこにこ会では、はじめと終わりにみんな集まって、挨拶されていますか?
 もしもされていたら、私はしめしめなんですけど・・・。というのは、最初、ソラソファミドレレレミドの旋律で「ごあいさつをいたしましょう」といってから「おはようございます」「さようなら」をみんなで言うようにしていたのですよ。それを中村さんがさらに発展させて下さって、輪になって手をつないでやるようになったのです。その後、黒川さんは、ソソファソソファソソファファソソソの旋律で「おはようおはようおひさまおはよ」「おはようございます」とやってくださっていました。それが出来るにこにこ会は「一味ちがうぞ!」と皆で言っていたのも懐かしい思い出です。
  結局、私の場合は上の子は3歳で、その当時のどろんこ組(3歳児組)を卒会して幼稚園へ、二人目は、2歳になるまで、待って待って入会させてもらっ て……。何故なら、当時の決まりで『短期入会はおことわり』で、下の子は1年後に幼稚園に入園予定している都合、入会は無理といわれたのですが、中村さん の「いろんな人がいていいんじゃないの」の助太刀で入会させてもらいました。濃密な1年間を過ごして卒会しました。
 **公園・*山・切通し・いろんなハイキングコース・H町・海辺・T山・・・。鎌倉を離れた私にとって豊かな自然との思い出はかけがえのないものです。どうぞ、今のにこにこ会のみなさん、お子さんたちと豊かな時間をお過ごしください。(カシュウ・スイカ母)


■思い出話し・3
  毎月F支所で行われていた身体計測の時に、保健師さんから「今度、ここで母親教室(育児教室?)があるんだけど、良かったら来ない?」と声を掛けてもら い、セミナーに参加した事が「にこにこ会」との出会いになりました。結婚を機に愛知県から鎌倉に移り、社宅以外にはお友達がいない状態だったので、お友達 ができたらいいなぁ〜と言う軽い感じで参加したことは覚えています。
 ちょうどその頃、娘は歩き始めたばかりだったので、普段、外に出るのは買い 物の時と近所の公園へ遊びに行く位で、ほとんど家の中で過ごしていました。なので、お弁当を持って、みんなで**公園を歩くと言う事は、私にも娘にとって も一大イベント(大袈裟過ぎかもしれませんが・・・)だったような気がします。社宅のお友達と遊ぶ時ももちろん、母子一緒が当たり前だったので、自主保育 に参加する事に、私で務まるのだろうか? 何かあったらどうしよう? と不安ばかり持っていた事を思い出します。
 初めの頃、母と別れる時に顔 をぐちゃぐちゃにして目いっぱいの声を出し泣き叫んでいる子ども達の姿を見る度に、心が痛み「ここまでやる必要があるのか? 母子一緒に参加できる形をとったらどうなのか?」等、色々な考えが頭をよぎりました。 でも、そんな私の心配をよそに、子ども達は本当にたくましくなってくれました。大変な山道を黙々と歩く姿、海で思いっきりはしゃぐ姿、お友達を思いやる 心、みんなのキラキラの笑顔・・・。
 残念ながら、娘の記憶には「みんなで山を歩いたり、海で遊んだりした」位でしか残っていないようですが、私は本当に貴重な経験をさせて頂けたし、にこにこ会のお母さん達には、息子の事でも色々助けて頂き、本当に感謝しています。
これからも、にこにこ会が20年、30年と続いてくれる事を願っています。(アヤカ母)


■思い出話し・4
  全く知らない鎌倉で、友人知人のいない田舎者、しかもマル高で授かった第一子。子育てに不安を抱え、子どもや自分の友だちもほしい。積極的に公園・児童館 に出かけていくもののそこでは気の合う友達ができない。遊ぶ時間帯が違う、遊ぶおもちゃがちがう、子育ての価値観が違う。そんなときに参加した、子育てセ ミナー。そこでは私と同じように、色々子育ての悩みを持っている人がいっぱい発言してました(マコ母さん/高崎さんや、レイ母さんが話したのを、今でも 覚えています)。
 そして自主保育の話に当然感動、なかよし会入会希望でしたが、人数オーバーで入れない(ちょっと〜、説明と違うじゃないのよ〜っ て、確かに感じたかも)。本当はそこで終っていたはずが、最初にあのすごい相川さんに出会い、「じゃあ自分たちで作ったら」の軽い一言で、行動力のあるママが集まりました。私は「とてもまさかそんな大層なことはできない、既成のグループに入って、受け身でやっていく方が楽!」って思ってました(・・・で も、この立ち上げの大変な時期に単身赴任の旦那のところへ行っていたと思う。それで、休会。ごめんよ・・・)。
 鎌倉に帰ってきた時は、すっかり 会が出来てた感じで、楽させてもらった。さ〜て、実際の活動は。(ん〜〜あんまり覚えてないけど、)人様の子どもたちを責任を持ってみる、ということにまだ慣れず、子どもたちに何かあったら大変とすごく神経使ってましたね。子どもたちの大好きな棒きれや石で何かけがをしないかや、子ども同士のけんか。けん かもどれくらいまでほっといていいか、どこで止めるかなど、悩むことも多かった。親同士も考えが違うしね。自分の子が当事者ならまた違う。でも迷ったら、 悩んだら、口に出して意見を求めあう。自分だってどれが正しいか、わからないんだから。それをしないとトラブルにつながると、実感したこともある。だから 何でも言いやすい友達関係を作っておく必要があるけど、それが難しいところだよね。
 当初は「子どもたち」というよりまだ赤ちゃんに近く、できな いことがほとんど、思う通りあるかない子とがほとんど。その中でどれくらい手を出していいか、どれくらい待つのか、などいっぱい悩んだり、親同士もいろい ろ話し合った。また私も含め妊婦が多くて、引率も大変だった気がする。リョウ母さんがおむつを替えていて(最初のころは出発する前に、みんなのおむつを替 えていた)「あ、私いまこのニオイだめ!ちょっと代わって」(←つわりの真っ最中)って言ってかわってあげたりしたことあるな〜、そういえば…。
 気がつけば、子どものことより自分のことばかり。でも、タビもアスもあの頃楽しかったはずと確信しています。
  なんか、大変なことばかりに聞こえるけど、その時は、がむしゃらに前だけ見て走っていたので、あまり大変とも思わなかった。逆に、こんなにいろいろ言い あったり、大変な作業・行動を共にしていると、皆本音で、なんでも話すことができて、すごっく楽しかった。このころの、友人と経験が財産になってます。
  中村さんがにこにこを言い表す言葉として、「子どもたちが、自然の中で、育ちあう」という意味のことをおっしゃったことがあったけれど、私は、まさに親たちが自主保育で成長させてもらったと感じています(このころの経験を生かして、保母の免許を取ったり保育者になったりと、自分を向上させ社会貢献している 人は多いはず)。にこにこ会(自主保育)には、親子で感謝しています。
 今、にこにこ会で活動している皆さん、自信を持って頑張ってください。ここで苦労して経験したことは、必ずあなたの人生に役立ちますよ。(タビ・アス母)


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